初夏なのに、初夏なのに、原発事故(1) 2011.05.19

3月11日の東北関東大震災で被災された皆様に、心より謹んでお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復興を心より願っております。

今は、待ちに待った初夏なのに、浮き立つ気持ちにはなれません。


家のすべての窓を閉じ、爽やかな5月の風の侵入を出来るだけ防いでいます。

いつもなら、家の中の窓という窓を全開にし、ベランダに咲いたバラの花の匂いを嗅ぎながら、5月の風や陽の光、鳥達のさえずりを楽しんでいたのに。


一人娘のあすかは、4月4日に晴れてめでたく幼稚園に入園し、毎日、元気に園バスに乗って幼稚園に通っています。


このブログも2月25日にアップして以来の久しぶりのブログとなります。


3月11日の福島第一原発の事故発生以来、1ヶ月近く毎日何度となくテレビのニュースを見ていました。また、各地の放射線量などをインターネットで見ていました。


先月4月16日の土曜日に、朝早く上野駅から新幹線に乗り、福島駅まで行き、福島駅からリレー号に乗って仙台市宮城野区の荒浜というところに行って来ました。

3月11日の地震発生直後、NHKのヘリコプターからのライブ映像を見ていました。津波に追われる車や破壊されていく家や建物。

見ているのが、本当に辛かった。

その荒浜地区に行き、なぎ倒された民家や車、瓦礫に覆われた一面の畑。

海岸沿いにあった大きな松の木が、根元から引き抜かれ、数キロ先の畑に散在している光景。それは破壊し尽くされた戦場のようでした。


自分の目で直接見ないと分からない津波の破壊力を思い知らされました。

被災された方々の大変さを思うと言葉がありません。


それにしても新幹線から見た福島の山々の光景、色とりどりの桜の花が咲き誇るその姿は、美しく、福島を愛する県民の方々の気持ちが良く分かりました。また、車窓から畑を耕している農家の人達の姿をよく目にしました。


福島県は、とても、とても素晴らしい県です。


その福島県で、レベル7の原発事故が起きました。

当初の原発事故の評価基準では、レベル5であったものが、レベル7になり、国内外で物議をかもし、東京電力日本国政府の後手後手の対応のまずさを未だに露呈させ続けています。


私は千葉県松戸市の東平賀と場所に3歳になる一人娘と妻と暮らしています。

娘は幼く、原発事故がどういうものなのか、放射能汚染の恐ろしさとは、どのようなものなのか分かるはずもありません。


娘を守るのは、私の務めです。

娘が無事に成人し、結婚をし、子供を産み、孫に囲まれて、幸せな一生を過ごせるようになることを、心より願っている一人の父親です。


事故当初からインターネットで放射線量を見ているうちに、3月21日を境にして、この辺りでは放射線量が高くなっていることに気づきました。


そのことは、東京大学柏キャンパスおよび国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)での日々行われている放射線測定結果から分かったのです。


シンチレーションサーベイメータを使った空間線量率の測定結果は、3月20日以前は、0.10μSv/h前後であったのですが、3月21日には0.80μSv/h を示し、その日以後徐々に低下していますが、5月4日のデータによると東京大学柏キャンパスが0.37μSv/h 、国立がん研究センター東病院が0.43μSv/h の値となっています。

東京大学柏キャンパスおよび国立がん研究センター東病院とも平時の値は、0.10μSv/h前後と全国の通常値である0.008〜0.048μSv/h より高くなっています。

これは東京大学環境放射線対策プロジェクトのホームページの説明によると、測定地点の近くに天然石材や敷石などがある場合には、0.3μSv/時に近い値を示す場合もあるとなっていますが、やはり高い値を示しています。


私はインターネットで、関連した項目を検索し、柏市松戸市流山市の一帯が放射線量の高いホットスポットである、ということを把握しました。


話は少し前後しますが、4月19日と20日の両日、千葉県庁および松戸市の大気環境を担当する部署に電話をしたのですが、まるで話になりませんでした。

「別段問題はありません」「調べる機器がありません」などなど、まるで「やる気がない」「責任回避」「事を荒立てたくない」としか言いようのない担当者の回答でした。

こんな人達に、安くはない給料を払っているのかと思うと、腹が立ちましたが、怒りをぶつけても埒が明かないと思い、電話を切り、松戸市の市長に電話をしました。

出てこられたのは、秘書の女性の方でした。


このつづきは、時間を開けずにアップします。


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親ばか 2011.02.25


この一ヶ月の間、仕事が忙しくブログを書く時間がまったくなかった。

やはりブログを書くにはまとまった時間と精神的なゆとりが少しは必要ですよね。


私の一人娘のあすかは、3歳4カ月になった。

そのあすかが、2週間程前、仕事をしている私の傍に来て、
「おとうさん、おとうさんを描いたよ」といって写真の絵を私に渡した。

その絵を見て私は、
「オッーオー!!」と声を上げた。

初めて娘が絵らしい私の絵を描いたのだ!!


妻もその絵を見て
「オッーオー!! あかす!! おとうさんに似てるね!!」
「ヤッター、ヤッター、ヤッホッホー!!」と声を上げた。
「これは100円ショップに行って額に入れなきゃね」
「あすかが、初めて描いた、絵らしい絵だから」
「ワーイ、ワーイ!!」


私はその二人を垣間見ながら、あすかの描いた私の顔の絵に見とれていた。

『子供を持つって、良いことだなあ』

娘が初めて描いてくれた私の絵を見ながら、率直にそう思った。

「天才的な絵だ!!」「ピカソも敵わない!!」「素晴らしい!!」

親ばかである。


傍から見ると何てことのない幼児の絵なのだが、自分の娘が初めて描いた自分の理解できる私自身の顔となると、親ばか丸出しである。

娘が色鉛筆やクレヨンを手に持ち、絵を描き始めたのは、もう2年位前になるだろうか。

しかし、最近まで、ただただ、ひょろひょろの線を描いたり、点を描いたり、絵らしい絵を描くことはなかった。

ようやく丸らしい丸を描くようになったのは、つい最近のことである。


娘と同じ歳の女の子のお友達は、娘より半年程前から絵らしい絵を描いたと家内は話していたし、一ヶ月程前に二人のお友達から娘宛に絵つきの手紙が届いた。

ハッキリと判読できるような字ではないのだが、字らしい字と、絵らしい絵が描かれていた。

私と妻は、その手紙を見て
「凄いね。大したものだ!!」と感心ばかりしていた。


我が娘は、口は達者なのだが、字を書いたり、絵を描いたりすることが、彼女達より遅かった。


私も妻も何もそのことで心配するようなことはなかったのだが、それぞれの幼児、子供が発達する過程は、まちまちであり、発達する過程が前後したり、得手不得手が出来てくるものだと実感した。


それにしても、生まれたばかりの赤子が成長し、他者が見ても理解できるような絵を描けるようになるまでの過程は、脳の発達史そのものではないだろうか。

モノの形を形として認識し、自分の手でクレヨンや鉛筆を持ち、線を描き、丸を描き、見たものの形を自分なりの感覚で造形する。

大人にはいとも簡単なことではあるが、娘を見ていて、その過程がいかに時間の掛かるものであるかが良く分かる。


脳の発達がある程度まで完成し、対象とするモノの特長を捉え、自分なりに良く理解しなければならないのではないかと思う。また、直線や曲線を描くことも脳の自然な発達を待たなければならないであろうことが分かる。


脳の発達には個人差がある。

当たり前と言えば当たり前のことではあるが、そのことを忘れがちな、いや忘れてしまう私がいる。


娘が認識している私の顔は、きっと娘の描いた私の顔に近いのであろう。

私の頭から炎が出ている。

娘のあすかは、私のことを幼いながらに良く見ているとつくづく思う。

親ばかな、本当に親ばかな私である。


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娘と風呂で遊ぶ  2011.01.23


最近、3歳になった娘のあすかが、よく「一緒にお風呂に入ろうよ!!」と私に言うようになった。

それまでは6ヵ月に一回位しか一緒に風呂に入ることはなかったのだが。

娘が一緒に風呂に入るのは、決まって妻であった。


娘は風呂好きである。ほぼ毎日風呂に入りたがる。

風呂に入って、よく浮き袋に入って遊んでいる。

また最近は、近くのスーパーに行くと毎日のように自分で選んだラムネやチョコレート類を買い求め、その食べ終わったプラスチックの容器で遊ぶようになった。


私も子供だった頃には、娘と同じように風呂の中でよく遊んだ。

自宅の風呂の中で、気ままに、好きなように遊んだ記憶は、今でも鮮明に覚えている。


娘のあすかと同い年の頃には、私は父親とよく一緒に風呂に入り、父親から手で湯を飛ばす水鉄砲の作り方やタオルで浮輪を作るやり方を教えてもらった。

小学校の頃には、泳ぐ真似をしたり、水中メガネをし、シュノーケルを付けて潜ったり、自分で組み立てたプラモデルの船を浮かべたりしたものだ。


子供の頃の『風呂に入るという行為』は、身体を洗い、疲れを取るためのものではなく、第一には、遊ぶためのものであり、次に湯に浸かり、気持ち良くなるためのものであった。


『湯に浸かり、プカプカと浮遊する感覚』は、母親の羊水の中にいた時の幸福な感覚を無意識のうちに思い出しているのかも知れない。

そう言えば娘が生まれたばかりの頃、風呂に入れると気持ち良さそうに、そのまま直ぐに寝入ったものだった。


娘のあすかが、「パパ、一緒にお風呂に入ろうよ!!」と最近言い始めたのには、訳があるはずだ。

その理由を妻に聞くと、

妻は、
「お父さんと入る方が、楽しいからに決まっているからよ」
「私と入ると、ただ身体を洗って出て来るだけだから」と言う。


時折、妻と娘が風呂に入っている光景を垣間見ると、娘はただ身体を洗っているだけでは得られそうもない幸せそうな表情を、必ず私に見せる。

妻は妻で娘と風呂の中で、私の知らない様々な遊びをしているのだろう。


それにしても娘と半年ぶりに風呂に入って驚いた事は、娘が自分でタオルに石鹸を付けて自分の身体をほぼ上手に洗った事だった。

「誰に習ったんだ、あすか? 上手くなったなぁ」
「お母さん!!」


そして更に私を驚かせたのは、

「パパ、身体を洗ってあげる」と言って、タオルに石鹸を付けて私の身体を洗ってくれた事だった。

「ゴシゴシ、ゴシゴシ」と言いながら、背中や二の腕、胸を洗ってくれた。


驚いたのなんの!!

更に「頭を洗ってあげる」とまで言い、私の頭にシャンプーを付けて、
「ゴシゴシ、ゴシゴシ」


父親として、泣けます。あまりの嬉しさに!!!


子供はいつの間にか、一人前に成長し、私の身体を洗うようになっていた。

『何ていうことだ!!!』

私は、顔面にアンパンマンのアンパンチを食らった!!!
そして同時に、『妻が色々教えたんだな!!!』と思った。


約10日程前、風呂桶を空気入れたまま湯船の中に入れ、
「大きなオナラ!!」と言っては
風呂桶を逆さにし、娘と共に風呂で遊んだ。

それの事がきっかけとなり、
「パパ、一緒にお風呂に入ろうよ!!」と声が掛かるようになったのかも知れない。

娘と風呂で遊ぶにようになり、以前にも増して、娘との距離が縮まったように思える。


娘が幾つになるまで「パパ、一緒にお風呂に入ろうよ!!」と言ってくれる事だろうか?

それにしても、父親と風呂に入った記憶は、娘が成人し、社会人となり、家族を持っても一生忘れる事のない記憶になるだろう。

私も3歳になった娘から、「パパ、身体を洗ってあげる」と言われ、娘の小さな手で身体を洗ってもらった日の事を一生忘れない。


ありがとう、娘!! ありがとう、我が妻よ!!



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アンパンマンを見た 2011.01.14


昨年の10月初旬、我が家もエコポイントの半減を耳にし、40インチの液晶テレビを掛け込みで購入した。

その1週間程前、住んでいるマンションのテレビ配線を全てデジタル化するため、ケーブルテレビ会社のスタッフがテレビの配線を換えていった。


その際、それまでケーブルテレビとは無縁だった我が家も、様々な無料特典の説明を受け、5分後には契約することとなった。


それから1週間もしないうちに、私はアンパンマンのテレビアニメを娘と妻と三人で初めて見た。もちろんアンパンマンは知ってはいたが、アニメを見たのは本当に初めてだった。


『これがアンパンマンなのか?!』56歳の私は率直にそう感じた。


娘はというと、夢中でアンパンマンを見続け、一緒に踊り、大声でアンパンマンのテーマソングを歌った。


私は娘のその姿を見て、顔面に『アンパンチ!!』を受けたような気持ちになった。

アンパンマンの威力は、私の想像を超え、3歳になる娘の心をわしづかみにした。
その日から夕方の6時になるとアンパンマンが、我が家のリビングに登場するようになった。


私は大はしゃぎの娘を垣間見ながら、夕刊に目を通し、時折アンパンマンの画面に目をやっている。


それいけ!アンパンマン」は、1988年の10月から1000本以上テレビでオンエアーされているのだというが、その間、私は一度もアンパンマンを見たことがなかった。


最近、サザエさんのアニメを娘と妻と共に日曜日の6時30分から見ているのだが、サザエさんは昭和40年以降のサラリーマン家庭を、平成23年の今日においても再現している。


サザエさんの家にある電話は、黒電話だし、マスオさんの会社にはパソコンはなく、お父さんやマスオさんが「今夜、一杯飲んで帰るから」と電話を家にする場合、携帯電話ではなく、緑色の公衆電話から電話をする。


それに比べると現在オンエアーされているアンパンマンは、私が夕刊に目をやりながら見ている限りにおいて、時代的な違和感を覚えることがありまない。

ウチの3歳になる娘のあすかが、「それいけ!アンパンマン」を最初に見た時の夢中さは、尋常ではなかった。それは何故だろうか?


娘がサザエさんを最初に見た時、「可愛い!!」と声を上げ、身近に感じたキャラクターは、「イクラちゃん」だった。


テレビの視聴率では、「サザエさん」が圧倒的に「それいけ!アンパンマン」を超えている。

私が思うに毎週日曜日の午後6時30分にオンエアーされる「サザエさん」の視聴者の多くは、昭和の時代に活躍したお年寄りの方々ではないか、と秘かに思っている。


それいけ!アンパンマン」の視聴者、支持者、ファンの多くは、現役の子ども達である。


それいけ!アンパンマン」の魅力は、多彩なキャラクターもさることながら、何度「アンパンチ!!」を食らっても、悪びれることなく、悪事、嫌がらせを繰り返すバイキンマンのタフネス。


またバイキンマンを手足のように使うドキンチャンの身勝手さや、そのドキンチャンがショクパンマンに恋焦がれる乙女心の面白さなどにあると思うのだが、子ども達にとっての魅力は、何と言っても「アンパンチ!!」と「バイバイキン」の判で押したような終わり方。


そして何よりも、みんなで協力しながら、元気に、楽しく、愉快に、逞しく、めげずに、思いやりを持って、仲良く暮らしているアンパンマン・ワールドに共感しているからだろうか。


今を生きる ことで 熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため


私も娘と一緒に「それいけ!アンパンマン」を見ながら、知らず知らずのうちに大声で歌っていることがある。

娘よ、アンパンマンよ、ありがとう!!


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正月早々迷子になった。2011.01.04


2011年の元旦、3歳になった娘のあすかが、私の実家のある高崎の駅ビル・土産物コーナーで迷子になった。娘は妻の手に引かれているものと私は思っていたのだが、私と妻が土産物を見ているうちに、気がつくと娘は消えていた。


「あすか!!」
「あすか!!」
「あすか!!」と私は咄嗟に娘の名前を大声で呼んだのだが、娘の声はどこからも聞こえない。

また、泣き声も聞こえない。

ほんの数十秒前には、娘は私の身近にいたのに。

『やばい!!!』と思い、一瞬間、頭の中が白くなった。


妻も「あすか!!」「あすか!!」と大声で呼ぶが、娘の返事はない。

私と妻は二手に分かれ、妻は今まで歩いていた方向に向かった。

私は足早に「あすか!!」「あすか!!」と呼びながら、本能の命じるままに直進していった。

『そんなに遠くには行っていない』と思いながらも、娘はどこにも見つからない。


「あすか!!」「あすか!!」「あすか!!」
と大声で娘の名前を連呼しながら、30秒程歩いた先に、高崎駅のメインストリートがあった。

『娘はどこだ?』『どこに行った?』

見ると階下に向かうエスカレーターが、無人で動いている。

娘は最近、エスカレーターに一人で乗れるようになった。

『ひょっとして、下に降りたのか?』と瞬間的に思った。となると容易には見つからなくなる。
私は迷子になった娘が、『一人でエスカレーターには乗らない』に賭けた。
このまま、このフロアーを探す。それが先決。

私は人通りの多いメインストリートを見たが、娘はいない。


『あせらない』と言い聞かせながら、私は反対側の人気のないデッキの方向を見た。

すると娘がガラス製の出入り口ドアの向こうに、中年の女の人に何かを話しながら、涙を流しているのが見えた。

「あすか!!!」
「パパ!!!」

私は近づいて来た娘を両手で抱き上げ、抱き締めた。

めでたし、めでたしである。


それは正味2分間位のことであったが、娘は思いがけない距離を移動していた。

娘は迷子になり、かなりうろたえていた。

幸い短時間の内に発見できたので良かったが、あのまま娘が迷子になり、発見できなかったらと思うと、頭が真っ白になる怖さを覚えた。


その晩、自宅に帰宅し、娘に迷子になった時、どんなことを思ったのか尋ねると、
「パパとママが、かくれんぼしているのかな?」と思ったと話した。

確かに私は、自宅のあるマンションの玄関などでよく買い物帰りなどに、娘とかくれんぼをして遊ぶことがある。

しかし、それにしても迷子になった娘は、大声で泣き叫ぶのではなく、かくれんぼをしているつもりで、私と妻を探していた、と聞くと、私は言葉を失った。

さぞや怖いかくれんぼであったことであろう。


「いいか、あすか、今度迷子になったら、その場所から動かないで、大声でパパ!! ママ!! パパ!!ママ!! と叫ぶんだ。そうしたら直ぐにパパとママが、あすかのことを探し出すから」と娘に言った。
娘はその言葉に、
「うん、わかった!!」と嬉しそうに返事をした。


その晩、妻と娘が迷子になった話をした。

携帯電話を持たせるとか、衣類に住所と名前と電話番号を書き入れるとか。
住所と名前と電話番号を記入したペンダントを持たせるとか。

しかし、結論としては、人ごみの中では必ず娘の手を握って歩く。迷子になったらその場所から動かずに、「パパ、ママ!!」と大声を上げて叫び続ける。という古典的なものとなった。

携帯電話には、GPS機能が付いていて、場所を確認することは簡単に出来るのだが、3歳児に携帯を持たせる必要はないのではないか。

また、私としては娘が短時間とは言え迷子になって、娘も私と妻も、ちょっとした隙に、迷子になることが良く分かった。そのことにより、娘も私も妻も十分お互いに気をつけることになり、迷子になったらその場所から動かずに、「パパ、ママ!!」と大声を上げて叫び続けることの大事さを娘は理解したと考えている。


私も娘と同年代の頃には、何度か迷子になった経験がある。

その事により、私は身を持って迷子になる事の恐怖を覚え、それ以後迷子になる事はなかった。

GPSは確かに便利だが、GPSで自分の位置を確認しなくては、何もできないような人間に、娘にはなって欲しくはない、と私は考えている。


自分の目と感覚を信じ、自分の頭で危険を察知し、回避できる人間になって欲しい。


正月早々迷子になった娘から学んだ事は、私自身にも当てはまる。

今年一年を迷う事なく、予定した進路に沿って、前進し、着実に乗り切りたいと考えている。


追伸:

このブログを書いた3日後に、妻と外出した娘が、また迷子になりかかった。


迷子になったらその場所から動かずに、「パパ、ママ!!」と大声を上げて叫び続けるように娘に教えたのだが、3歳児にとって、迷子になった『その場』を動かない事は、かえって『怖くて、恐ろしい事』のようだ。


人は迷子になりながら、成長するもの。


娘の能力と成長を信じ、私と妻がしっかりと見守りつづけるしかない、と考えている。

それにしても、毎日のように迷子になって欲しくはないものだ。

娘よ、少しは親の気持ちを分かってくれ!!



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家族全員 風邪を引く 2010.12.22


我が家は家族全員が風邪を引き、コホン、コホン状態が続いている。

3歳になった娘のあすかは、数日前に直ったようなのだが、妻と私が重傷で、完治したとは言い難い。


1カ月前から仕事が忙しく、妻はパソコンにへばり付き翻訳をし続け、私は私で、お客様との遣り取りや娘を幼稚園の一時預かりに出していたため、毎日のように送り迎えをして、妻と私は疲れ果てていた。

最初に妻が風邪に掛かり、次に娘、そして最後が私であった。


夜3人一緒に同じ部屋で寝ていると、常時コホン、コホンと咳込む声がし、寝像が悪い娘は、あっちへコロコロ、こっちへコロコロといった具合で、布団を掛けてやっても5分ともたないのである。


10日程前の一週間は朝晩の気温がかなり低く、セーターを一枚多く重ねていたのだが、それでも寒さが身にしみる日々が続いていた。

疲れと寒さのため、家族全員が風邪を引き、今日現在妻と私は風邪をこじらせている。


自分では医者に殆ど掛かったことのない妻が、昨日近くの内科医に行き、薬を処方してもらって来た。

処方された薬を飲んだ妻は、「身体が、宙に浮いているようだ。フラフラする」としきりに言っている。


内科医の処方した風邪薬は、もちろん言うまでもなく対処療法なのだが、それにしても
「身体が、宙に浮いているようだ。フラフラする」と感じる風邪薬とは、どのようなものなのか?

内科医は「身体が、宙に浮いているようになりますよ」「動作はゆっくりとして下さい」と言ったそうだ。

妻は喉の痛みはとれたが、「フラフラ」である。


「薬と毒は紙一重」と言えるのではないか?


疲れ切った身体が、寒さに出会い、体調を崩した、と言ってしまえばそれまでだが、それにしても風邪を引いただけで、ミノマイシン錠を始めとした8種類の薬を妻は処方され、ふら付いている。


私は昨晩、妻のもらってきた薬を1錠飲んでみた。
多少咳は止まったようであったが、胃の調子が悪くなり、1錠飲んだだけで止めた。

私も妻も普段薬を飲むことはめったになく、風邪の引き始めには葛根湯をドラッグストアーで買ってきて飲む程度である。


何のための薬なのか、と頭をひねってしまう。


ところで娘は風邪を引いた3日後には元気ハツラツで、遊びに興じている。

歳を取ると風邪の直りが悪くなるという事がよく分かる。

長引く風邪を簡単に直す方法はないものだろうか?

身近な食べ物が良いのだが。

もちろん、生姜湯やネギは試してみたのですが。

どなたか、ご存じならばお知らせください。

お待ちしております。


それにしても、我が国の国家予算の中で医療費用が年々かさみ、地方自治体の医療機関が立ち行かなくなっている昨今の実態は、処方してもらった風邪薬の種類の多さや、その有効性を考えてみるだけでも、「成るほど!!」と頷けるものがある。


そうでないと良いのだが。

風邪様 一日も早く我が家から、退散、退散してくださぁーい。本当にお願いたします。


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お腹減った!! 何か食べたい!!! 2010.12.17


2010年も残すところ、あと2週間となりました。
みなさんの一年はどんな一年だったでしょうか?


私の一年は、前回のブログ「上野動物園 私と娘のお気に入り ベスト3 2010.12.01」に書いたような一年でした。あっという間の一年でしたが、ちょっと大変な一年でした。

一人娘のあすかは11月3日で3歳になり、私はつい最近1才歳を取り56歳になりました。

このブログを始めたのは、今年の6月11日からで、やっとあと一回で30回目のブログとなります。


今回のタイトルである「お腹減った!! 何か食べたい!!!」は、我が家の今年2010年を総括する言葉です。


娘のあすかは、今年に入ってからやたらと、「お腹減った!! 何か食べたい!!!」を連発するようになりました。


2分前に「ごちそうさま」と言い、食事を終えたばかりだと言うのに、その2分後に「お腹減った!! 何か食べたい!!!」とまるで今まで何も食べていなかったように、平然と言うのです。 当初、私は我が耳を疑いながら、娘の顔を見ると娘は真顔でした。

妻はやや憮然とした顔になり、私は
「ほんとうかよ、あすか?」と娘に聞き返しました。
「パパ、お腹減った!!」と満面の笑みを浮かべ娘は楽しそうに答えたのです。


娘は食事の際、いつも一定量の食事を摂るわけではなく、食事量にかなりのムラがあります。ですが、それにしても呆れかえりますよね。

妻の気持ちも良く分かります。

また、日によっては1時間おきに「お腹減った!! 何か食べたい!!!」と言い、直ぐに何かを食べさせないと、喚きはじめる事が良くありました。


結局、この一年を通して分かった事は、1回の食事量が足らないのではなく、食事の他に別の物を食べたいのです。


それはお菓子です。


1年前の2歳児になりたての頃に比べると、今は比較にならない位様々なオヤツ・お菓子を食べるようになり、2歳児の時には殆ど食べさせなかった飴やキャンディー、ラムネ、ゼリーと言った類の物を食べるようになったのです。


また、ショッピングモールなどに行くと、必ずアイスクリーム・ソフトクリームとなります。


私自身が子どもだった頃の事を考えると、むげに「ダメ、ダメ、ダメ!!」と言えないものがあります。この年代の子どもにとってお菓子やアイスクリームは、言うまでもなく最高に魅力的な食べ物なのです。


私も娘と同い年の頃には、よくキャラメルやドロップ、飴を毎日のように食べていました。


朝食、昼食、夕食といった3度の食事よりも、遥かに強力な魅力を持っている食べ物がそれらのお菓子でした。キャラメルやドロップの濃厚な味に対抗できる食べ物は、さしずめカレーライスやケチャップライスなどでしょうか。

ソフトクリームにしても濃厚な味ですよね。


しかしだからと言って、食事の後に直ぐにお菓子を食べて良いというのは、問題ですよね。


またそれだけではなくお菓子やゼリーなどの原材料表示を見てみると、「これは何なんだ!?」と思えるほどの添加物の羅列です。


私が子どもだった頃にも原材料表示はあったと思いますが、これ程の数の添加物の記載はありませんでした。

一つ一つの添加物の内容を理解し、本当に何から出来ているのかを知ることは、製造メーカーに問合せないと分からないものばかりですし、また、ひょっとすると当の製造メーカーでさえも、分からないで使用しているということもあるかも知れません。


大手アイスクリームメーカーが製造している、どこにでもある、誰でも食べているアイスクリームの原料である液糖は、遺伝子組み換えのトウモロコシを原料としていますし、またスナック菓子などで使うフライ用の油も遺伝子組み換えであると考えられます。


つまり知らぬ間に、意図せぬ食品を自分も子ども達も食べているというのが実情です。


今回のタイトルである「お腹減った!! 何か食べたい!!!」から、かなり違う方向へと流れてしまいましたが、子ども達、そして我が娘の健康とその健全なる発育を考えると、どのようなお菓子やオヤツを、どのようなタイミングで、どのように食べさせるかは、「何でも良いから食べときな」では済まされないように思えます。


私が子どもだった頃のお菓子には遺伝子組み換えの食品は、皆無で、化学合成された添加物、香料もそれ程なかったように思えます。


気がつけば知らぬ間に、私達は意図せぬ食品を子ども達に与え、自らも食べている。
また、食べざるを得ない社会状況になっている。


今年の夏、近くにある市民プールに娘を連れて行った際、大変、大変、胸の薄い中学生達に会いました。彼らは嬉々としてプールの中ではしゃぎ合っていましたが、私は「大丈夫なのかなぁ?」という薄暗い確かな疑問符を覚えました。


「お腹減った!! 何か食べたい!!!」
「テーブルの上に、蒸かしたジャガイモがあるから」
「うん、分かった」
そんな時代を懐かしく思います。



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