娘の成長 幼稚園の年中組になった。 2012.05.04

僕は、あすか、本当に、本当に、幸せだよ!!

何故って、それは、あすかが日々成長し、日々僕と家内の話に口をはさみ、
「ねえ、ねえ、わたしにも喋らせてよ。わたしの話も聞いてよ、少しは」と自分の意見を主張しようとする年齢になったからだ。

あすかの背丈が伸びて、毎月、柱の傷が高く、高くなっていくからだ。

「お腹へった!!」といって、お代りを3杯もするようになったからだ。

娘は、今、4歳になり、幼稚園の年中組になった。

朝、布団から起きると大声で
「おはよう!!」と元気よく、僕に飛びついて来る。

僕は、その後、毎朝『おはよう抱っこ』をする。

18.5キロの娘を天井近くまで持ち上げ、そのまま一気に胸元まで下ろし、
5秒程、「痛いよ!」と娘が声を上げるまで強く抱きしめる。

僕の亡くなった父も、おそらく僕を同じように抱き上げ、沁みるような幸せを感じていたのかも知れない。

僕は、長い、長い間、一人で暮らして来た。

今、朝早く目を開けると、僕の横には、娘のあすかと家内が寝息を立てている。

時折、二人と思うように意思疎通ができない時もあるけれど、僕は幸せだ!!

2011年の7月から、このブログを書かない日々がつづいていた。

その理由は、毎日仕事が忙しく、ブログを書く時間が取れなかったせいもあるのだが、それ以上に、あすかと家内と僕の三人で一緒に生活する日々に慣れ、あすかの成長が当たり前になり、赤ちゃんだった時ほど感動しなくなったせいかも知れない。
僕の心の中にある感動の振り子が狭まったのか?

心の透明度が落ちたのか?

あすかが、赤ちゃんだった時には、毎月、毎月カレンダーを捲るごとに大きな変化があった。

あすか、ハイハイする。

あすか、立ちあがる。

あすか、トイレでウンチをする。

その度に家内と共に声を上げて、大喜びしたものだ。

今の感動は、あの頃に比べると間違いなく地に足が付いたものとなっている。
季節の移ろいのように、ゆっくりとだが、着実なあすかの成長と静かな喜び。
本当にありがたいことだ。

だが、娘が成長するに従い、いつの間にかその成長に慣れ、写真を撮る回数がめっきり減って来た。

娘が赤ちゃんだった頃には、それこそ毎日のように写真を撮っては、写真屋でプリントしてもらっていた。

娘が赤ちゃんだった頃の感動は、僕の両手から汲んでも汲んでもこぼれ落ちる清水のように、鮮烈なものがあった。

今思うと、初恋をした時のように新鮮で、娘の一挙手一投足に感動したものだ。

これではいけないと常々感じながらも、忙しさにかまけてブログを更新せずにいた。

たまに一人の時間ができるとブログを書くことよりも、本を読んだり、自転車に乗ったり、散歩したりと忙しい日常ではできないことに精を出した。

よく言われることだが、日記やブログなどの文章を書くということは、日常の瑣事を見つめ、その日常を紡ぐ作業であり、瑣事の中にある何かを発見し、急速に流れていく日常の時間を止める行為であると思える。

今現在の僕自身の心の在りかの一端を見つめる作業。
心の中を覗く作業。

その行為により、僅かでも心の襞を深め、瑣事を味わい、自己を見つめ、森羅万象に想いを馳せられたらと思う。

何かを書くという事は、忙しい日常から、一歩も二歩も抜け出さないと出来ない行為であるとつくづく思える。

僕自身の心の波が静まり、静穏な時間が流れる。

ひと昔前までは、こうした静穏な時間が僕の日常には、僅かな時間ではあったが存在していた。

それが去年の3月11日以前にはあったように思える。


娘のあすかは、最近、毎日のように幼稚園の友達や家内に絵付きの手紙を書いている。

娘は日々成長する。

夕暮れの影法師のように時間が立つに従い、知らないうちに成長する。

去年の3月11日を境にして、僕は前にも増して背中を誰かに押されているような気持ちになっている。

『座禅でも組んでみるか』と余りの自分の心の忙しなさに思う。

僕の住んでいる柏市松戸市の一帯は、放射能汚染のホットスポットとなっている。

今年の2月にエステーの簡易型放射線測定機を手に入れ、近隣の放射線測定を時折行っている。

平均すると地上1メートルで、0.24μSv/h (毎時マイクロシーベルト)前後で、私の家(マンションの5階)の中は0.07μSv/h (毎時マイクロシーベルト)となっている。

原発事故が起きた福島に住む人達に比べれば、何と言うことのない放射線量ではあるのだが、娘がまだまだ小さいため僕の心の中、頭の中には、薄い灰色の靄がその上部を覆っているように思える。

1年前と比べれば、地上1メートルでの放射線量は、確かに減っているのだが、私がエステーの簡易型放射線測定機で測定する限りでは、今年の2月時点と現在では僅かな減少が見られる程度で、「減ったぞ!!」と大声を出す程のことはない。


娘のあすかは、いつも間にか自分でひらがなを一通り覚えた。
とは言っても家内に字を教えてもらっていたし、僕自身も何度か娘に書き方を教えたのだが。

昨日は、知らないうちに自分で7枚の紙芝居を作って、実演してくれた。

僕は、驚き、感動し、手を叩き、抱き上げた!!

娘は、僕の想像を遥かに越えて、急速に成長していた。

4年前に生まれた娘が、4年後には、自分の意見を言うようになり、字を書き、紙芝居を僕の前で実演じる。

『成長』という言葉には、その言葉を耳にしただけで、喜び溢れる溌剌としたイメージが湧く。

生い茂る新緑の青葉。
真夏の炎天下でも、すくと真っ直ぐに太陽に正対するヒマワリの花の逞しさ。

『成長する』『成長している』『成長しつづける』『大きく成長する』『想像を超えて成長する』『確実な成長』『大幅な成長』『安定した成長』『安定的な成長』『過去の実績を上回る成長』『急速な成長』『予想外の成長』『信じられないほどの成長』

今の日本国内では余り見聞きすることが少なくなった『成長』という言葉には、幻惑的な魔力・言霊があるように思える。

紙芝居の出来不出来は別として、絵を描き、セリフを自分の言葉で全て書いた。


明日5月5日の子供の日に、高崎に住んでいる僕の母の家に行く。

娘は、3日前におばあちゃんに渡すと言って手紙を書いた。

母の似顔絵と共に
『おばあちゃん、あすかは、おばあちゃんがだいすきです。ありがとう』というものだ。

拙い【ひらがな】が何とも愛おしく、眺めているだけで、娘の成長の息吹を感じる。

平和で、安全な日本であって欲しい、と心から思い願う!!

尚、このブログは2012年5月1日に書いたもので、アップするのを忘れていました。ごめん!! あすか!!