ニッソーカントリークラブ 「また、一緒に遊んで下さい」 2018.02.21


私にとって、ゴルフとは、何だろう?

私にとって、ゴルフとは、遊びである。

私にとって、ゴルフとは、ニッソーカントリークラブである。


私にとって、ニッソーカントリークラブは、遊び場であり、気の置けない友人が沢山いる住処である。

今、現在の私にとって、ニッソーカントリークラブこそ、心の故郷である。


何故、ニッソーカントリークラブなのか?


まずは、気楽に、ゴルフが楽しめる。

土日でも、食事をして6000円程度で済む。

早朝ゴルフなら、2600円で済む。

食事は美味しいし、クラブハウスの作り、雰囲気が、着慣れた自分の服のように心地良い。



ゴルフが大好きな大人の男達が、少年時代に戻ったように、フワフワのフェアウェイを闊歩しながら、年齢を忘れ、日常の些事を忘れ、小さな白球を追い、笑い合う。


大空は、どこまでも深く、蒼穹であり、雲が流れ、虹が湧く。

こんな場所は、めったにない!



早朝のニッソーカントリークラブは、一年を通して、野鳥や小動物の楽園で、カワセミが我が物顔で、飛び交い、シロサギやアオサギ、多くのカモが根城とし、テンが足早にコースを横切る。



「また、一緒に遊んでください」

「こちらこそ」

そんな会話が楽しい!


私にとって、ゴルフとは、何だろう?

乾いた甲高い快音と共に小さな白球が、森閑とした夜明けのゴルフコースを、大きな放物線を描きながら、高速で、飛んでいく。


それだけで、幸せ!

それだけで、幸せだ!


ニッソーカントリークラブの良さを数えたら十指に余る。


まずは、自然体でいられること。

特別な自分を作ることなく、自然体の自分でゴルフを楽しめ、また、ゴルフを楽しめる友人や知人が沢山いる。


次には、料金が安く、予約もスムーズに取れ、コースのメンテナンスも良い。


私は、普段、手引きでコースを回るのだが、多くの手引きのプレーヤーは、タフを取った跡を、自ら目土をし、また、他のプレーヤーのタフの跡を目土して行く。


時たま、他所のゴルフ場に行くと、フェアウェイがボコボコという所もあるのだが、その様な事はない。


4月下旬になるとフェアウェイは、新緑の傷のないフカフカの絨毯と化して行く。


その目土の一つ一つが、ニッソーカントリークラブのメンバーの心意気であり、ゴルフへの愛と敬意であると私には思える。


そして、シロサギやアオサギ、カモやカワセミの他、タヌキなどの小動物が、人を恐れる事なく、自然体で暮らしている事だ。

朝陽の中で、見上げた広々とした青空をV字形を作って飛行するカワウなどの群れ。その姿を見ただけで、心が晴れ晴れとする。


早朝の静寂の中を、朝陽が昇り、残月が西の空に浮かぶ。

その度に、来て良かったと思う。




ゴルフの面白さは、コースやルール、ハンディキャップ、スコア、同伴者との会話や飛距離、風の読み、パッティングの読み、その時の心理状態、その前日の仕事や家庭、睡眠の質。前回のプレーの記憶等の様々な要素が絡み合った混沌・カオスの中から、それらの全てを消し去った「無」と言える一瞬の「時」「間」から飛び出す会心の一打、会心の寄せ、会心のパットの生み出す僅かに甘美な快感。


その会心の時間が、心のカオスを消し去るからかも知れないが、そうした理屈や分析ではない、それこそ太古から人間の心を揺さぶらずにはおかない、天然の、天性の面白みがゴルフには、潜んでいるのではないかと、私には思える。


それにしてもゴルフの面白さのは、直径1.68インチ(42.67mm)の1つのボールを遥か遠くへ飛ばし、その1つのボールを直径108ミリメートルのカップに入れる、その一打一打の妙であり、また、どんなスイングであろうと、総打数の少ない者が勝者となるからだろう。


更にゴルフの面白さを掘り下げ、仲間たちと笑い続けたい!


是非、お越しください!

※ニッソーカントリークラブ http://www.nisso-cc.co.jp/

※掲載した料金は、会員料金です。

高速道路の運転 ムカつくこと 2017.07.16

先日 日曜日の午後2時、高崎の実家からの帰り、関越自動車道で追越車線を120キロで走行中、後方からグレーの商用車ハイエースが突然、私の車の後方3-4メートルにピタリと着いた。

私はアクセルを踏み130キロに加速した。そのまま走行車線に入ろうとしたが走行車線には車間距離の空いたスペースはない。ハイエースはそのまま後方3-4メートルを130キロで走行し、離れない。

「こいつ、何、考えてるんだ!」

私はそのまま1キロ程走り、走行車線にスペースがあったので滑るように入り込んだ。その間、約1分。ムカついた!

運転者の顔を見たくなる!

私が書くまでもなく、危険極まりない、煽り運転

それにしても130キロで、後方3-4メートルの車間距離、一瞬で全てが終わる。

私は高速道路を走行するときは、勿論だが、一般道でも常に車間距離を十分取るようにしている。

ハイエースのナンバーは、横浜ナンバーであった。

何か火急の用件でもあったのか、と追越車線を走り去るハイエースを見ながらそう思ったが、危険極まりない!。

よくある煽り運転ではあるが、悪質だ!

本当に「何、考えてるんだ!」と思った。



もう一つは、高速道路、一般道のノロノロ運転。

少しはバックミラーで後方の車列を見て欲しい。


自動運転の時代になったら、煽り運転ノロノロ運転は解消されるのだろうか?

八ヶ岳 犬の牧場 移転先に行く 2017.07.11

昨年2016年の夏、勝沼での桃狩りの帰りに八ヶ岳に行ってみようという話になった。娘は9歳になり、妻は47歳になった。私は58歳で自動車免許を取り、4年目にして初めて八ヶ岳に向かう事となった。

「山に登るか?」と私が言うと、
「疲れるから、嫌だ」と娘がすかさず否定。
「じゃー、とうする?」
「分からない」という訳で、私がネットで八ヶ岳の情報を検索すると
「犬の牧場」という一風変わったタイトルのサイトがあった。

「何だ!?」と思いクリックすると、広々とした草原をゴールデンレトリバーの群れが自由に駆け巡り、川の中にバッサ、バッサと次々に飛び込み、水しぶきを上げ、川面を気持ちよさそうに上手に泳ぎ、冬の広大な雪面を元気よく一目散に走り回るゴールデンレトリバーの群れの映像に釘付けになった。

「日本にこんな場所があるのか!?」私は自分の目を疑った。

という訳で、2016年の7月中旬に「八ヶ岳 犬の牧場」に向かったのである。

娘は前から、「犬を飼いたい、飼いたい」と事あるごと私と妻にせがむのだが、マンション住まいでは、中型犬や大型犬を飼うことはできず、また、仕事にも支障があるため、「永遠の保留」になっていた。

八ヶ岳 犬の牧場」とカーナビに入力し、八ヶ岳の青々と深く晴れ渡った7月の空の下、国道141号を走り、カーナビの指示通りに側道を走り続けた。対向車はなく、鳥の鳴き声と爽やかな高原の風が朝の光の中にあった。

ところが、目的地の「八ヶ岳 犬の牧場」は閉鎖され、通行止めとなっていた。残念!!


掲示されていた「犬の牧場」の連絡先に連絡し、野辺山駅から歩いて3分にあった仮設の移転先の「犬の牧場」で元気なゴールデンレトリバーの群れとボール投げをして遊んで来ました。


2017年7月9日現在の「犬の牧場」の移転先は長野県佐久市入澤にあり、八ヶ岳高原鉄道の「羽黒下駅」の近くの山すそに仮りの居を構えています。南佐久郡佐久穂町高野町にあるガストの駐車場から車で5分程度のところにあります。


「犬の牧場」のオーナーさんやスタッフの方の話によると2017年8月には八ヶ岳にある新居に移り、その場所に定住する予定であるとの事です。

その新居は敷地面積もあり、施設も整っているとの事ですので、是非、足を運んでください。

私達も2017年の秋に新居を訪れる予定です。

尚、2017年7月9日現在の「犬の牧場」の仮設の場所は、山の裾野にあり、風が心地よく吹き渡り、静かで、緑に溢れ、犬達は木陰で、気持ち良さそうに昼寝をしています。


今まで3回 仮設の「犬の牧場」に行きましたが、「犬の牧場」のゴールデンレトリバーは、どの犬も性格が良く、おおらかで、元気が良く、キラキラしていて素敵です!


オーナーさんの連絡先 080-1116-0011

下の写真は2017年7月9日のものです。

犬まみれ。癒されます。

それにしても南佐久郡南牧村海ノ口にあった移転する前の広大な「八ヶ岳 犬の牧場」で、犬達が生き生きと疾走する姿を実際に自分の眼で見てみたかったと思います。

大型犬の魅力の一つは、元気よく、生き生きと疾走する姿ではないでしょうか。

その姿を見ているだけで、惚れ惚れとした感情が心の底から沸き起こって来ます。





60歳を前にして運転免許を取得した! 2015.09.06



僕は現在60歳、娘の明日香は7歳、妻は45歳。そんな僕が2年前の58歳の時に運転免許を取得した!

運転免許を取得してからの走行距離は、2万3500キロ。

「本当の人生がこれから始まるよ、きっと」
全ての試験が無事、完了した時、教官の一人が僕に言った。

厳密な意味で「本当の人生が始まった」かどうかは、さておいて、確かに「それまでとは明らかに異なる人生が始まった事は確かだ!!」

運転免許を取得する前は、娘を幼稚園に連れて行くために、夏になると大汗をかきかき、息を切らして、坂道を登り、幼稚園の先生たちから、「大変ですね!」と心底言われた。

今では、その坂道を車で20秒程度で通過し、息を切らして、坂道を登る事はなくなった。

娘は、今、小学校の2年生。

元気に毎日、歩いて15分程の小学校に通っている。

僕の運転する車で、娘と妻と僕の3人で、走った距離は、一体どの位の距離になるのだろうか?

距離にすると1万5千キロ位か、・・・確かな事は分からない。

だが、確かな事は、僕の運転する車に3人で乗り込み、今まで行きたくても中々行けなかった場所に、簡単に行けるようになり、3人で遊び、笑い、食べ、感動し、走行距離が増える度に、家族の距離が縮まった。

僕は、58歳になるまで、車を運転したいとは考えた事はなかった。

電車があれば車は必要ないと考えていたのだ。

「本当の人生がこれから始まるよ、きっと」
教官の言葉に、「嘘」はなかった。

僕は、58歳で運転免許を取得するために、自宅から自転車で10分程の教習所に多い日には、4往復した。その結果、40日間で運転免許を取得する事ができたが、一度、仮免許試験のクランクでバーに接触し、仮免許の再試験を受けた。

あの時は、言葉か出ない位落ち込んだ!

だが、今では、運転免許を取得して、本当に良かったと心から思っている。

「本当の人生がこれから始まるよ、きっと」

良い言葉だ!

お世話になった教習所の教官たちには、心から感謝している!

娘の成長 幼稚園の年中組になった。 2012.05.04

僕は、あすか、本当に、本当に、幸せだよ!!

何故って、それは、あすかが日々成長し、日々僕と家内の話に口をはさみ、
「ねえ、ねえ、わたしにも喋らせてよ。わたしの話も聞いてよ、少しは」と自分の意見を主張しようとする年齢になったからだ。

あすかの背丈が伸びて、毎月、柱の傷が高く、高くなっていくからだ。

「お腹へった!!」といって、お代りを3杯もするようになったからだ。

娘は、今、4歳になり、幼稚園の年中組になった。

朝、布団から起きると大声で
「おはよう!!」と元気よく、僕に飛びついて来る。

僕は、その後、毎朝『おはよう抱っこ』をする。

18.5キロの娘を天井近くまで持ち上げ、そのまま一気に胸元まで下ろし、
5秒程、「痛いよ!」と娘が声を上げるまで強く抱きしめる。

僕の亡くなった父も、おそらく僕を同じように抱き上げ、沁みるような幸せを感じていたのかも知れない。

僕は、長い、長い間、一人で暮らして来た。

今、朝早く目を開けると、僕の横には、娘のあすかと家内が寝息を立てている。

時折、二人と思うように意思疎通ができない時もあるけれど、僕は幸せだ!!

2011年の7月から、このブログを書かない日々がつづいていた。

その理由は、毎日仕事が忙しく、ブログを書く時間が取れなかったせいもあるのだが、それ以上に、あすかと家内と僕の三人で一緒に生活する日々に慣れ、あすかの成長が当たり前になり、赤ちゃんだった時ほど感動しなくなったせいかも知れない。
僕の心の中にある感動の振り子が狭まったのか?

心の透明度が落ちたのか?

あすかが、赤ちゃんだった時には、毎月、毎月カレンダーを捲るごとに大きな変化があった。

あすか、ハイハイする。

あすか、立ちあがる。

あすか、トイレでウンチをする。

その度に家内と共に声を上げて、大喜びしたものだ。

今の感動は、あの頃に比べると間違いなく地に足が付いたものとなっている。
季節の移ろいのように、ゆっくりとだが、着実なあすかの成長と静かな喜び。
本当にありがたいことだ。

だが、娘が成長するに従い、いつの間にかその成長に慣れ、写真を撮る回数がめっきり減って来た。

娘が赤ちゃんだった頃には、それこそ毎日のように写真を撮っては、写真屋でプリントしてもらっていた。

娘が赤ちゃんだった頃の感動は、僕の両手から汲んでも汲んでもこぼれ落ちる清水のように、鮮烈なものがあった。

今思うと、初恋をした時のように新鮮で、娘の一挙手一投足に感動したものだ。

これではいけないと常々感じながらも、忙しさにかまけてブログを更新せずにいた。

たまに一人の時間ができるとブログを書くことよりも、本を読んだり、自転車に乗ったり、散歩したりと忙しい日常ではできないことに精を出した。

よく言われることだが、日記やブログなどの文章を書くということは、日常の瑣事を見つめ、その日常を紡ぐ作業であり、瑣事の中にある何かを発見し、急速に流れていく日常の時間を止める行為であると思える。

今現在の僕自身の心の在りかの一端を見つめる作業。
心の中を覗く作業。

その行為により、僅かでも心の襞を深め、瑣事を味わい、自己を見つめ、森羅万象に想いを馳せられたらと思う。

何かを書くという事は、忙しい日常から、一歩も二歩も抜け出さないと出来ない行為であるとつくづく思える。

僕自身の心の波が静まり、静穏な時間が流れる。

ひと昔前までは、こうした静穏な時間が僕の日常には、僅かな時間ではあったが存在していた。

それが去年の3月11日以前にはあったように思える。


娘のあすかは、最近、毎日のように幼稚園の友達や家内に絵付きの手紙を書いている。

娘は日々成長する。

夕暮れの影法師のように時間が立つに従い、知らないうちに成長する。

去年の3月11日を境にして、僕は前にも増して背中を誰かに押されているような気持ちになっている。

『座禅でも組んでみるか』と余りの自分の心の忙しなさに思う。

僕の住んでいる柏市松戸市の一帯は、放射能汚染のホットスポットとなっている。

今年の2月にエステーの簡易型放射線測定機を手に入れ、近隣の放射線測定を時折行っている。

平均すると地上1メートルで、0.24μSv/h (毎時マイクロシーベルト)前後で、私の家(マンションの5階)の中は0.07μSv/h (毎時マイクロシーベルト)となっている。

原発事故が起きた福島に住む人達に比べれば、何と言うことのない放射線量ではあるのだが、娘がまだまだ小さいため僕の心の中、頭の中には、薄い灰色の靄がその上部を覆っているように思える。

1年前と比べれば、地上1メートルでの放射線量は、確かに減っているのだが、私がエステーの簡易型放射線測定機で測定する限りでは、今年の2月時点と現在では僅かな減少が見られる程度で、「減ったぞ!!」と大声を出す程のことはない。


娘のあすかは、いつも間にか自分でひらがなを一通り覚えた。
とは言っても家内に字を教えてもらっていたし、僕自身も何度か娘に書き方を教えたのだが。

昨日は、知らないうちに自分で7枚の紙芝居を作って、実演してくれた。

僕は、驚き、感動し、手を叩き、抱き上げた!!

娘は、僕の想像を遥かに越えて、急速に成長していた。

4年前に生まれた娘が、4年後には、自分の意見を言うようになり、字を書き、紙芝居を僕の前で実演じる。

『成長』という言葉には、その言葉を耳にしただけで、喜び溢れる溌剌としたイメージが湧く。

生い茂る新緑の青葉。
真夏の炎天下でも、すくと真っ直ぐに太陽に正対するヒマワリの花の逞しさ。

『成長する』『成長している』『成長しつづける』『大きく成長する』『想像を超えて成長する』『確実な成長』『大幅な成長』『安定した成長』『安定的な成長』『過去の実績を上回る成長』『急速な成長』『予想外の成長』『信じられないほどの成長』

今の日本国内では余り見聞きすることが少なくなった『成長』という言葉には、幻惑的な魔力・言霊があるように思える。

紙芝居の出来不出来は別として、絵を描き、セリフを自分の言葉で全て書いた。


明日5月5日の子供の日に、高崎に住んでいる僕の母の家に行く。

娘は、3日前におばあちゃんに渡すと言って手紙を書いた。

母の似顔絵と共に
『おばあちゃん、あすかは、おばあちゃんがだいすきです。ありがとう』というものだ。

拙い【ひらがな】が何とも愛おしく、眺めているだけで、娘の成長の息吹を感じる。

平和で、安全な日本であって欲しい、と心から思い願う!!

尚、このブログは2012年5月1日に書いたもので、アップするのを忘れていました。ごめん!! あすか!!

ホットスポット 松戸 空間放射線量0.477マイクロシーベルト 2011.07.21


私は、千葉県松戸市東平賀という場所に住んでいます。

先日7月12日に松戸市が公式発表した私の自宅から100メートルと離れていない公園の空間放射線量は、地上5センチの高さで0.477マイクロシーベルト

50センチの高さで、0.383マイクロシーベルト

100センチで0.344マイクロシーベルトです。


福島原発からは直線距離で約200キロ離れているのですが、まさにホットスポットの真っ只中。


6月末までは、暑い日でも窓を締め切っていたのですが、7月に入り、あまりの暑さに窓を全開に開け、夜もほぼ全開の状態で寝ています。

自宅はマンションの5階にあります。


高さと空間放射線量の関係が気になり、先日Webで検索してみました。

ある研究者の方の論文によると、マンションの高さが2階以上になると空間放射線量は半減するとなっていました。

ということは、0.477マイクロシーベルトの半分である0.24マイクロシーベルトが、我が家の空間線量なのか? 果してそうなのであろうか、と思いながら、日々暮らしています。


娘は病気知らずの3歳児。

私も妻も幸いな事に娘同様に病気知らずです。


それにしても、それにしても、0.477マイクロシーベルトとはちょっと驚きです。


1年間の累積放射線量はこのまま推移すると仮定すると、地上5センチで0.477 x 24 x365=4.178マイクロシーベルト
地上100センチで0.344 x 24 x 365=3,013マイクロシーベルト


仮にマンションの高さが2階以上になると空間放射線量は半減するにより計算すると、年間の累積放射線量は、2,089マイクロシーベルトとなります。


また、セシウム134(半減期2年)・セシウム137(半減期30年)の核種の割合を各50パーセントと仮定すると一年後の空間放射線量は、地上5センチでは0.357マイクロシーベルト。マンションの高さが2階以上の場合、0.178マイクロシーベルトとなります。


2年後は、セシウム137のみの影響となり、地上5センチでは0.238 マイクロシーベルト
マンションの高さが2階以上の場合、0.119マイクロシーベルトとなります。


平時における千葉県環境研究センター(市原市)の空間放射線量は、0.022〜0.044マイクロシーベルトですが、山口県の平時における空間放射線量は、0.100マイクロシーベルト前後です。

これは放射線を多く含む花崗岩などの割合が山口県では多いためと様々な本や記事に掲載されています。


つまり2年後には、山口県の2倍の空間放射線量の中で暮らし、おそらく健康への影響はほとんどないと考えられますが、それにしても空間放射線量0.477マイクロシーベルトホットスポットの真っ只中での生活は、気分の良いものではありません。


福島県などの高線量地域にお住まいの方々は、この何倍もの線量の内で生活していらっしゃるのですが。さぞや落ち着かないものがあると思います。


私は、3月11日の福島原発事故以来、日本国を大きく変えるには、我が国の25パーセントから30パーセント位の人口比を様々な外国籍の人々にし、参政権を与え、真の意味で開国する事ではないか、と考えるようになりました。


2010年における外国人登録者数は213万人です。

この数字を10倍から15倍の2000万人、3000万人にするのです。


少子化問題を解決することにもなりますし、1億2,800万人(2010年10月実施国勢調査)ものほぼ日本人だけの国家というのは、体制的にも、精神的にも、いびつで脆弱な構造を生み出すのではないでしょうか?


責任を誰が取るのか分からない、また責任を取るとは、どのような事なのか明確でなく、また、責任を取るとは職を辞すると同義であると考えている人達、責任を持つ、責任を取るという事は、辞職することではないと私は考えています。


時代を見据えた国家戦略、政治家としての自覚や論理性、国民一人一人の国際感覚の向上、国籍を問わず誰でも自由に参加できる、自分の意見を論じることのできる民主的な議会政治。

多様な価値観を持った多くの外国籍の人材が我が国に流入することにより、責任の明確化、慣れ合いの社会システムからの脱却、誰でも納得できるシステムの構築や筋道の通った論理性が必要になり、日本は根底から変革せざるを得なくなります。


50年後、100年後の日本を考えると、この福島原発事故という歴史的大事故を機に、皆の手で日本を大きく変革するべきです。


添付した写真は、江戸川に掛かる流山市野田市の境にある高さ100メートル以上はある巨大な東京電力の送電塔です。


おそらく福島第一原発で発電した電気を東京に送電していたものと私は考えています。

一年前の雨季に、この送電塔の下を自転車で通った時には、冷蔵庫の駆動モーターのような微かな音が聞こえ、ガイシがジッジーと音を立てていたと記憶しています。

それが今では、何も聞こえず静まり返っている状態です。

鳥達のさえずりがあちこちから聞える中、巨大な送電塔の列が水平線の彼方まで、ほぼ東から南西方向に向ってつづいています。


高さ100メートル以上はある巨大な東京電力の送電塔の1塔の価格は、幾らなのか?
1億・2億・3億・4億・5億、それ以上か?

それに直径20センチはありそうな総延長1000キロメートル以上の電線の価格は?

もったいない話ですが、福島原発から発電された電力を東京に送るための送電塔などのインフラの総価格は、数千億円から1兆円程度ではないでしょか?


その高価なインフラを無にするのでしょうか?

いえ、おそらく近い将来 福島県に大規模な太陽光発電設備や海上風力発電施設を建設し、原発のインフラを利用するかも知れません。


それにしても、今直ぐにでも日本の社会を根幹から大変革する必要があるのではないでしょうか?

使い道のない巨大な送電塔や送電網に、決して日本社会をしてはなりません。


※ ブログ・ランキングにエントリーしています。
応援よろしくお願いいたします。
よろしければ、気楽にクリックしてください。ありがとうございます。

にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/udmw3areqhcq

初夏なのに、初夏なのに、原発事故(2) 2011.05.22


前回のつづきです。

多少前回のブログ内容と重複しますが。


4月20日松戸市の市長と直接話をしようと考え、市役所に電話をし、
「市長さんと松戸市内や近隣の放射線量についてお話をさせて頂きたいのですが」
と電話に出た市長の女性の秘書の方に伝えました。

その方は、大変丁寧に私の話を聞いてくれ、何度も電話越しに相槌を打ってくれました。


話の内容は、次のようなものです。

私の家には、幼い子供がいて、知り合いには生まれたばかりの赤ちゃんや2・3歳児、小学生達がいる。

子供達は、何も知らずに幼稚園、小学校、公園や公園の砂場などで遊んでいる。

心配なので、3月11日の福島第一の原発事故以来、東京大学柏キャンパスおよび国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)での日々行われている放射線測定結果などをインターネットで見ている。

3月20日までは0.10μSv/h前後で、大きな数値の変動はなかったのだが、3月21日を境に0.80μSv/hと放射線量が高くなっている。

また様々なインターネットからの情報によると、柏市松戸市流山市我孫子市の一帯が放射線量の高いホットスポットとなっている。その値は、福島県いわき市北茨城市に近いものである。


松戸市のホームページを見ると
「水道水および大気等の放射線量は、各種情報より現在のところ健康に影響を与えるレベルではありません。なお、緊急情報等があった場合は随時お知らせします。」となっているが、それ以上のコメント・情報はない。

そして、松戸市のホームページにある「大気中の放射線量に関する情報について」のリンクをたどると、千葉県市原市にある県環境研究センターの大気環境の空間放射線量を見ることができるだが、4月19日の平均値は0.053μSv/hとなっている。

この数字を基準にして松戸市における放射線の影響はないと考えるのは、無理があるのではないか?


そう考えて、4月19日と20日の両日、千葉県庁および松戸市の大気環境を担当する部署に電話をしたのだが、「別段問題ありません」「調べる機器がありません」などなどの回答で、まるで「やる気がない」「責任回避」「事を荒立てたくない」としか言いようのない無責任な担当者の回答であった。


私としては、インターネット上では、様々な情報が飛び交っているので、実際の正確な放射線量の数値を知りたいし、松戸市のホームページにその調査データ、対処方法なども掲載して欲しい。


大切なことは、この地域の実際の正確の放射線量の数値を日々公表してもらいたい。

そして、問題のある場合には、行政として対策を考え、対応してもらいたい。

そうでなければ、何のための行政なのか分からない。そのために税金を払っている。


また、松戸市だけで、近隣の市町村の放射線量を調査するには無理があるので、近隣の柏市流山市我孫子市などの市長さん達と協力して、調査し、その結果を随時ホームページにアップして欲しいという要望を伝えました。

また、余談ですが、千葉県の環境研究センターが環境の良い市原市にあるのは間違いで、県の環境研究センターは、県内の劣悪な環境の場所においてこそ、その意義があるのではないかと伝えました。


秘書の方は、最後まで丁寧に相槌を打ちながら私の話を聞いてくれ、市長に伝えると話してくれました。

私は最後に、自分の氏名や住所、電話番号を伝え、結果が出たらご連絡くださいと伝えました。

4月20日のことです。

それ以来、電話に出た秘書の方からは何も連絡がありませんでした。


私はその間も、インターネットで日々時間のある時には、関連した情報を見、また放射能汚染関連の本なども読んでみました。
それと同時に、松戸市の回答をただ待っているだけでは仕方ないので、自分で線量計を手に入れ、自分自身で、その結果をホームページかブログでアップしてはどうかと思いました。


4月下旬、インターネットで線量計や近隣の放射線量を検索しているうちに、松戸市放射線量を日々個人で計測し、ブログにアップしている方の存在を知りました。


その方に連絡を取り、私の住む北小金周辺の放射線量を一度、計測させてもらいました。5月8日の時点で、平均すると0.21μSv/hでした。


東京大学柏キャンパスおよび国立がん研究センター東病院の日々公表されているデータと比べると、約0.15μSv/hほど数値が低く、また放射線原子力教育関係者有志による全国環境放射線モニタリングの結果と比較しても約0.15μSv/hほど数値が低いことが分かりました。


私の住む北小金から、東京大学柏キャンパスおよび国立がん研究センター東病院へは直線距離で約8キロほどで、放射線原子力教育関係者有志による全国環境放射線モニタリングの近隣の5地点からも同様に約8〜10キロほどの距離です。


その約1週間後に、私が線量計を貸していただいた方が、新たな機種を購入し、松戸市などの放射線量を計測し、日々アップしている放射線量を見てみると数値が思いの他高くなっていました。


放射線原子力教育関係者有志による全国環境放射線モニタリングの結果のホームページには、測定器の種類や精度、測定者等の違いによって多少の誤差があります。というコメントが掲載されています。

私は、自分で買える範囲の放射線量測定機の精度の確かさについて疑問を持つようになりました。

自分で買って、近隣の公園や砂場、幼稚園などの放射線量をブログやホームページにアップするという計画には、無理があるのではないか?


たとえアップする際に、精度の不確かさを掲載したとしても。
そんなことを考えながら、松戸市などの放射線量を個人でアップしている方のブログを見ていると、


5月17日に松戸市ツイッターより転載 として、下記の文章が掲載してありました。

千葉県松戸市(公式)
原子力発電所の事故に伴う要望書を6市長で 提出◆ 東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う要望書を松戸市野田市柏市流山市我孫子市鎌ヶ谷市の6市長連名で千葉県知事へ提出しました。要望内容 は、大気中と土壌の放射線量の測定と結果、評価を公表し、市民の不安を解消することなど。

松戸市ツイッターより転載
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/top/kenyoubou.pdf


また、5月18日付の読売新聞のWeb版にも同様の記事が掲載してありました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20110517-OYT8T01052.htm


私は、4月20日松戸市長の秘書の方に電話で話した要望が、実現に向かって動いていることを知り、「良かった」と思いホッとしましたが、インターネットを見ると私だけではなく、多くの市民の方々などが、それぞれの方法で、松戸市柏市などに同様の要望を寄せていたことを知りました。


千葉県として、松戸市としてどのような体制で、どのような情報を、いつ公表されるのか定かではありませんが、公表される放射量が、真実のものであり、その実数に基づいた対策を迅速にとってもらいたいと切に願っています。

行政は市民や県民のためにあるのです。

それにしても、インターネットの力は、凄い!!と思います。


初夏になっても、家の窓を開けることもできず、ありとあらゆる食品が日々放射能に汚染され、子供達が公園で遊ぶのさえ、危ぶまれる昨今の状況は、尋常ではありません。


真夏になっても、窓を開けられない。
イカも食べられない。
線量計を持ち歩かなければならない。
・・・・。

「尋常な日常がかつてあった」という話には、決してしたくないと考えています。


※ ブログ・ランキングにエントリーしています。
応援よろしくお願いいたします。
よろしければ、気楽にクリックしてください。ありがとうございます。


にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/udmw3areqhcq