気ままに一日を過ごす 2010.08.02


時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に出てみたい


だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない


寺山修二が作詞した有名な「時には母のない子のように」の一節です。


正直な話、一ヶ月に一日か二日位、一人で気ままに、朝から晩まで過ごしてみたい、と思います。


朝、散歩をした後、午前中から見たかった映画を見に行く。
その後、気に行った店で昼食を食べ、本屋に行って本をゆっくり眺め、何冊か本を買う。
午後はその本を読みふける。
好きな音楽の流れる場所で、コーヒーを飲みながら。


あるいは、朝から晩まで行ってみたかった街や場所を、気ままに歩く。

あるいは、一晩か二晩、一人で温泉に行って、ゆっくり湯に浸かり、散歩をし、本を読む。


私のところは、仕事場である事務所と生活空間が、ドア1枚隔たっているだけで、娘の声や妻と娘の遣り取りを耳にしながら仕事をしています。


つまりは四六時中、妻と娘が今、何をしているのか分かり、共にいる、という生活です。


娘の笑い声や鳴き声、妻と娘の話声や「お腹減った。何か食べたい」の声です。


妻と一緒になってから4年近くの歳月を経て、結婚して子供を育てるという生活は、妻にとっても私にとっても、一人娘がまだ2歳9カ月であるため、その日その日を自由気ままに、過ごすというものではありません。


例えて言うならば、娘を背中に背負い、両手に買物袋を提げて歩いている毎日と言ったところです。


「一人になりたい!!」
「一人になって好きなことをやりたい!!」
「もう、疲れた!!」
「もう、嫌!!」と妻は時折、私に言います。


その言葉を聞き、
『また、はじまった。俺だって・・・』と正直なところ思います。


しかし、しかし、娘は、
「お腹減った。何か食べたい」
「もう、眠たい」
「どこか行きたい」
「ミオちゃんに会いたい」を連発する毎日です。


娘と四六時中、こうした生活を送れるのも残り、あと9カ月。

来年の四月には幼稚園児です。


『気ままに一日を過ごす』

それは今のところ、夢のまた夢。


時折、妻と私が交代で、半日程度、気ままに過ごす日もあるのですが。

毎日、娘と一緒に過ごす。

「それは、それは、楽しく、幸せな時間であった」と娘が幼稚園に行った後の静まり返った家の中できっと思うことでしょう。


とは言え、子育てをしていると、たまには一日一人で気ままに過ごしたい、と思うのは、当然ですねよ。


追伸:

今年に入って妻も私と一緒に仕事をしている関係から、娘を、保育園に入園させようと妻が市役所に行き、手続きを取ったのですが、入園希望者が多く、査定の結果、『待機』という名の下、『却下』となっています。


「それはないだろう」と何回か、市役所の担当部署に電話をし、話をしたのですが、
『待機』です。


現在では、娘を幼稚園に入学される予定です。


無謀かも知れませんが、私としては、幼稚園を廃止し、保育園に一本化し、希望者全員が入園できるシステムに変更すべきではないかと思います。

保育時間や夏休みなどについては、個人個人がそれぞれの都合により選択できるようにして。

いかがでしょうか?


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