正月早々迷子になった。2011.01.04


2011年の元旦、3歳になった娘のあすかが、私の実家のある高崎の駅ビル・土産物コーナーで迷子になった。娘は妻の手に引かれているものと私は思っていたのだが、私と妻が土産物を見ているうちに、気がつくと娘は消えていた。


「あすか!!」
「あすか!!」
「あすか!!」と私は咄嗟に娘の名前を大声で呼んだのだが、娘の声はどこからも聞こえない。

また、泣き声も聞こえない。

ほんの数十秒前には、娘は私の身近にいたのに。

『やばい!!!』と思い、一瞬間、頭の中が白くなった。


妻も「あすか!!」「あすか!!」と大声で呼ぶが、娘の返事はない。

私と妻は二手に分かれ、妻は今まで歩いていた方向に向かった。

私は足早に「あすか!!」「あすか!!」と呼びながら、本能の命じるままに直進していった。

『そんなに遠くには行っていない』と思いながらも、娘はどこにも見つからない。


「あすか!!」「あすか!!」「あすか!!」
と大声で娘の名前を連呼しながら、30秒程歩いた先に、高崎駅のメインストリートがあった。

『娘はどこだ?』『どこに行った?』

見ると階下に向かうエスカレーターが、無人で動いている。

娘は最近、エスカレーターに一人で乗れるようになった。

『ひょっとして、下に降りたのか?』と瞬間的に思った。となると容易には見つからなくなる。
私は迷子になった娘が、『一人でエスカレーターには乗らない』に賭けた。
このまま、このフロアーを探す。それが先決。

私は人通りの多いメインストリートを見たが、娘はいない。


『あせらない』と言い聞かせながら、私は反対側の人気のないデッキの方向を見た。

すると娘がガラス製の出入り口ドアの向こうに、中年の女の人に何かを話しながら、涙を流しているのが見えた。

「あすか!!!」
「パパ!!!」

私は近づいて来た娘を両手で抱き上げ、抱き締めた。

めでたし、めでたしである。


それは正味2分間位のことであったが、娘は思いがけない距離を移動していた。

娘は迷子になり、かなりうろたえていた。

幸い短時間の内に発見できたので良かったが、あのまま娘が迷子になり、発見できなかったらと思うと、頭が真っ白になる怖さを覚えた。


その晩、自宅に帰宅し、娘に迷子になった時、どんなことを思ったのか尋ねると、
「パパとママが、かくれんぼしているのかな?」と思ったと話した。

確かに私は、自宅のあるマンションの玄関などでよく買い物帰りなどに、娘とかくれんぼをして遊ぶことがある。

しかし、それにしても迷子になった娘は、大声で泣き叫ぶのではなく、かくれんぼをしているつもりで、私と妻を探していた、と聞くと、私は言葉を失った。

さぞや怖いかくれんぼであったことであろう。


「いいか、あすか、今度迷子になったら、その場所から動かないで、大声でパパ!! ママ!! パパ!!ママ!! と叫ぶんだ。そうしたら直ぐにパパとママが、あすかのことを探し出すから」と娘に言った。
娘はその言葉に、
「うん、わかった!!」と嬉しそうに返事をした。


その晩、妻と娘が迷子になった話をした。

携帯電話を持たせるとか、衣類に住所と名前と電話番号を書き入れるとか。
住所と名前と電話番号を記入したペンダントを持たせるとか。

しかし、結論としては、人ごみの中では必ず娘の手を握って歩く。迷子になったらその場所から動かずに、「パパ、ママ!!」と大声を上げて叫び続ける。という古典的なものとなった。

携帯電話には、GPS機能が付いていて、場所を確認することは簡単に出来るのだが、3歳児に携帯を持たせる必要はないのではないか。

また、私としては娘が短時間とは言え迷子になって、娘も私と妻も、ちょっとした隙に、迷子になることが良く分かった。そのことにより、娘も私も妻も十分お互いに気をつけることになり、迷子になったらその場所から動かずに、「パパ、ママ!!」と大声を上げて叫び続けることの大事さを娘は理解したと考えている。


私も娘と同年代の頃には、何度か迷子になった経験がある。

その事により、私は身を持って迷子になる事の恐怖を覚え、それ以後迷子になる事はなかった。

GPSは確かに便利だが、GPSで自分の位置を確認しなくては、何もできないような人間に、娘にはなって欲しくはない、と私は考えている。


自分の目と感覚を信じ、自分の頭で危険を察知し、回避できる人間になって欲しい。


正月早々迷子になった娘から学んだ事は、私自身にも当てはまる。

今年一年を迷う事なく、予定した進路に沿って、前進し、着実に乗り切りたいと考えている。


追伸:

このブログを書いた3日後に、妻と外出した娘が、また迷子になりかかった。


迷子になったらその場所から動かずに、「パパ、ママ!!」と大声を上げて叫び続けるように娘に教えたのだが、3歳児にとって、迷子になった『その場』を動かない事は、かえって『怖くて、恐ろしい事』のようだ。


人は迷子になりながら、成長するもの。


娘の能力と成長を信じ、私と妻がしっかりと見守りつづけるしかない、と考えている。

それにしても、毎日のように迷子になって欲しくはないものだ。

娘よ、少しは親の気持ちを分かってくれ!!



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