親ばか 2011.02.25
この一ヶ月の間、仕事が忙しくブログを書く時間がまったくなかった。
やはりブログを書くにはまとまった時間と精神的なゆとりが少しは必要ですよね。
私の一人娘のあすかは、3歳4カ月になった。
そのあすかが、2週間程前、仕事をしている私の傍に来て、
「おとうさん、おとうさんを描いたよ」といって写真の絵を私に渡した。
その絵を見て私は、
「オッーオー!!」と声を上げた。
初めて娘が絵らしい私の絵を描いたのだ!!
妻もその絵を見て
「オッーオー!! あかす!! おとうさんに似てるね!!」
「ヤッター、ヤッター、ヤッホッホー!!」と声を上げた。
「これは100円ショップに行って額に入れなきゃね」
「あすかが、初めて描いた、絵らしい絵だから」
「ワーイ、ワーイ!!」
私はその二人を垣間見ながら、あすかの描いた私の顔の絵に見とれていた。
『子供を持つって、良いことだなあ』
娘が初めて描いてくれた私の絵を見ながら、率直にそう思った。
「天才的な絵だ!!」「ピカソも敵わない!!」「素晴らしい!!」
親ばかである。
傍から見ると何てことのない幼児の絵なのだが、自分の娘が初めて描いた自分の理解できる私自身の顔となると、親ばか丸出しである。
娘が色鉛筆やクレヨンを手に持ち、絵を描き始めたのは、もう2年位前になるだろうか。
しかし、最近まで、ただただ、ひょろひょろの線を描いたり、点を描いたり、絵らしい絵を描くことはなかった。
ようやく丸らしい丸を描くようになったのは、つい最近のことである。
娘と同じ歳の女の子のお友達は、娘より半年程前から絵らしい絵を描いたと家内は話していたし、一ヶ月程前に二人のお友達から娘宛に絵つきの手紙が届いた。
ハッキリと判読できるような字ではないのだが、字らしい字と、絵らしい絵が描かれていた。
私と妻は、その手紙を見て
「凄いね。大したものだ!!」と感心ばかりしていた。
我が娘は、口は達者なのだが、字を書いたり、絵を描いたりすることが、彼女達より遅かった。
私も妻も何もそのことで心配するようなことはなかったのだが、それぞれの幼児、子供が発達する過程は、まちまちであり、発達する過程が前後したり、得手不得手が出来てくるものだと実感した。
それにしても、生まれたばかりの赤子が成長し、他者が見ても理解できるような絵を描けるようになるまでの過程は、脳の発達史そのものではないだろうか。
モノの形を形として認識し、自分の手でクレヨンや鉛筆を持ち、線を描き、丸を描き、見たものの形を自分なりの感覚で造形する。
大人にはいとも簡単なことではあるが、娘を見ていて、その過程がいかに時間の掛かるものであるかが良く分かる。
脳の発達がある程度まで完成し、対象とするモノの特長を捉え、自分なりに良く理解しなければならないのではないかと思う。また、直線や曲線を描くことも脳の自然な発達を待たなければならないであろうことが分かる。
脳の発達には個人差がある。
当たり前と言えば当たり前のことではあるが、そのことを忘れがちな、いや忘れてしまう私がいる。
娘が認識している私の顔は、きっと娘の描いた私の顔に近いのであろう。
私の頭から炎が出ている。
娘のあすかは、私のことを幼いながらに良く見ているとつくづく思う。
親ばかな、本当に親ばかな私である。
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