娘との会話 2010.09.23


2歳11カ月になる娘のあすかとの会話が、楽しくなって来た。
娘は2歳前から言葉を話していたのだが、この数カ月の間に娘の言語能力が飛躍的に伸び、大人と話しているのと大差ないまでになった。


まあ、難しい内容の会話は勿論無理なのだが、それにしても急速に語彙数が増え、微妙なニァンスの会話が出来るようになり、しっかりとした日本語で冗談を言い、言葉遊びに興じる。


「やった!!」
「やっちゃった」
「行くよ」と言いながらボール投げをし、野球のバットを振り回す。


「今日は、涼しいね」
「今、何時?」


まだ、時間に関する概念など理解してはいないのだが、よく「今、何時?」と聞く。


「今、何時なの、あすか?」と妻が聞き返すと
「3時!!」と実際の時間に関係なく、いつでもそう答える。
「いつでも、あすかは3時なんだから」
「だってオヤツが食べたいから」


妻は娘との会話を心から楽しんでいるかのようだ。


私は二人の会話を聞いているだけで、幸せな気分になる。
結婚して、家族を持つことの幸せは、こんなさり気ない時間を幸せであると感じることが出来き、幸せであると感じさせてくれることなのかも知れない。


まあ、四六時中穏やかな会話ばかりが続く訳ではなく、娘のあすかが日本語を覚えた分、物事の成り立ちを理解するようになり、その分、自分の意思を無理やり貫こうとし、妻と私を困らせることも増えて来た。


思い通りにならず、気に入らないことがあると、物を投げたり、喚き散らし、コップの水を私達の目の前でこぼしたりする。


「謝りなさい!!」
「いや!!」
「謝りなさい!!」
「いや!!」


娘のあすかを見ていると、一人の赤ちゃんが幼児になり、そして子供へと成長する過程毎に、それぞれの楽しみはあると思うのだが、私としては娘と会話らしい会話が出来るようになった今日この頃が、事の他うれしい。


「子は鎹(カスガイ)」「子は宝」と昔から言われている理由が、最近良く分かるようになった。


それにしても他者とのコミュニケーション能力を高めることが、人間関係の絆を深める重要な要素の一つである、ということが、娘と一緒に暮らすようになってから良く分かるようになった。


「謝りなさい!!」
「いや!!」
「謝りなさい!!」
「いや!!」も人の親になった証拠である。


お腹一杯、娘との会話を楽しみたい、と思います。


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2010年 夏の思い出 2010.09.17


最近、めっきり秋らしくなって来た。10日前には考えられない涼しさである。


それと共に、ウォーキングをしても体重が見る見る減らなくなって来た。


確かに今年の夏は、長引く炎暑で、とても暑かった。


だが、この暑さは、これから起こるであろう急速な気候変動の一端に過ぎないのではないだろうか?


そう思うと、漠とした思いに捕らわれ、遥か遠い宇宙の暗闇を見つめているような気持ちになる。


私に何ができるのか?


声高に叫んでみたところで、皆さん、先刻承知の事と素通りされるだけ。


私が生業としている翻訳の仕事は、様々な分野の論文や契約書の翻訳、また各種のマニュアルや観光パンフレットなどを日本語から英語・中国語・韓国語・ポルトガル語などに翻訳したり、また、各国語から日本語に翻訳する仕事である。


世界各国の人々と日本を繋ぎ、より円滑な相互理解、コミュニケーションを図るために必要な仕事のひとつであるのだが、私の手で急速な気候変動を止めることなどまるで不可能であり、論外の話である。


砂山の一粒の砂でもない。


限りなく、限りなく無に等しい存在である。


私は55歳になるまで、大いなる自然の恩恵を受け、自然の素晴らしさ・驚嘆すべきそのシステムの深さに僅かではあるが、触れる事ができた。


この地球という星に生まれた事に、心から感謝している。


娘が55歳になった時の地球は、自然は、果してどうなっているのであろうか?


娘だけが、元気で、健康で、幸せで、あれば良いなどとは、決して言えない。


私が自然から学んだものの一つは、全ての種は、孤立して生命を営んでいる訳ではなく、おそらく意識する事なく、多くの種が重層的に、連鎖し、共生して生命を営んでいるという事である。


もう直ぐ3歳になる娘が、その事を知識としてのみでなく、遊びを通して、娘の感覚、感性が、経験的に理解しながら、実践し、成長してくれる事を心から願っている。


私は、私なりに、この問題に対して何が出来るのかを日々考え、少しでも答えらしきものが出たら実行していくつもりだ。


微力ではあるが、きっと何かが出来るはず!!


写真は、この夏、今年生まれて初めて浴衣を着た娘のあすかの晴れ姿である。

娘は浴衣を着て、大はしゃぎをした。
つくづく女の子だ!! と心底思った。


今年、2010年の一番の"夏の思い出"である。 


カナブンは、玄関先にいたもの。
イカを食べた後、元気になったので、近くの林に戻した。


夕焼け空は、北小金の夏祭りの前夜祭の際に撮ったもの。
美しい夕焼けだった。


" ブラジル・アマゾン川支流の水位に異変 "ブラジル・サンパウロ在住の翻訳者からの最新報告。2010/09/17

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女の子・男の子 2010.09.02


もう直ぐ2歳10ヶ月になる娘のあすかを見ていると、つくづく女の子だなぁ、と思うことが最近多くなって来た。


もちろん娘が女の子であることは間違いないのだが、毎日の遊びを見ていると、心底そう思う。


シマジロウやハナちゃんをベビーカーに乗せて、お母さんごっこを良くする。


また、100円ショップで買ったオモチャのトマトやカボチャで料理を作り、私に食べさせてくれる。


また、良く喋る。


機嫌の良い時には一人で喋りつづけ、歌が好きなせいか良く歌を歌いながら、テレビで見た女の子の身振りを付けて踊る。


私は男のみの4人兄弟の中で育ったせいか、幼児の頃、一二度隣の女の子とママゴト遊びをした記憶があるが、まるで面白くなかっし、身振り手振りを付けて歌を歌うことにも興味がなかった。


だが、娘のあすかは、心底楽しんでいる。


私達の住んでいるマンションの近くには、多くの昆虫や動植物が生息する林や川があり、毎年夏になるとマンションの通路にクワガタやカミキリムシなどが、しばしば紛れ込んで来る。


そうした昆虫を見つけて、娘に見せると、「怖いよ、怖いよ」と言っては泣き叫ぶ。


男の子だったら、目を輝かせて喜ぶのでしょうが、娘はテントウムシがよいところである。


私は、男と女の本能的な性格の違いを多少は知っているつもりだったが、娘を持って初めて『成るほど』と納得したことが幾つもある。


女の子を育てた方にとっては、至極当たり前の事ではあると思うのですが。


その①−「可愛い!!!」に大変弱い。


人形やテレビに出て来る女の子、洋服などを見て、娘や女の子が「可愛い!!!」と言う訳は、『子を生み、子を育てるためである』という事に関係しているという事が分かった。


赤ちゃんを見て女の子や女性が「可愛い!!!」と声を上げ、「可愛い!!!」に弱いのは、本能の成せる技であると。当たり前の事なのですが。


人の赤ちゃんだけでなく、どんな動物や昆虫の赤ちゃんだって可愛いですよね。


商売するならおそらく古今東西を問わず、「可愛い!!!」が女の子や女性を取り込む重要なセールスポイントとなる事が身を持って分かりました。


その②−女の子は、ままごと遊びが好き。


娘は、人形を背中に背負いながら、よくオモチャの野菜などで料理を作り、私に食べさせてくれます。これも本能の成せる技ですよね。


その③−自分の着ている衣装に、大変なこだわりがある。


娘はまだ2歳10カ月なのに、同い年の友達に自分の着ているものを「可愛い!!!」と言ってもらいたい、褒めてもらいたい、という大変強い本能がある。また友達の着ていた服を良く記憶している。


兎に角、靴下から始まって、着るもの全てに対するこだわりが強い。

その理由が、どこから来るのかは未だ不明なのですが。

男や男の子には、それ程強い欲求はない、と私には思えるのですが。


男の私には分からない事なのですが、そのうち、はたと分かる日が来るのではないでしょうか?


2歳10ヶ月の一人娘と共に暮らし、生活するという事は、55歳の私にとって、年齢を忘れさせてくれるばかりではなく、知らなかった女性の本質・本能を知らず知らずのうちに学ぶフィールドワークでもあります。


結婚し、子供を育てるという事は、大変な事も多々ありますが、知らず知らずのうちに様々な恵みを受けている、と思います。


妻に感謝!!! 

娘に感謝!!!


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散歩ウォーキング(2) 2010.08.21


最近、朝晩めっきり涼しくなって来た。

『めっきり』などという言葉は、この時期に相応しくないのかも知れないが、今までが炎暑だったため、気温が5度も下がると、めっきり涼しくなって来た、という表現がぴったりな気がする。


今は、8月21日(土)の朝の8時20分。

2歳9カ月になる娘のあすかは、静かに寝続けている。

一週間前なら暑くて寝ていられず、娘はぐずりながら起きてきて、妻を困らせていた。

今、涼しい部屋の中で、娘はどんな夢を見ながら寝ているのか?


私は、今朝もいつものように散歩ウォーキングに出掛けた。
場所は、我が家の近くにある松戸市流山市の境を流れる富士川沿いの田んぼ道である。


朝 5時半だというのに多くの人達が、散歩やウォーキング、ジョギングを思い思いにしていた。


私は、いつもの散歩ウォーキングコースを歩き、途中でストレッチ、いや自己流の体操をするため、刈り取られたばかりの草地の中に足を踏み入れた。

すると思いがけず刈り取られたばかりのとても良い草の香りがした。


私はなぜか、その草の香りを嗅ぐと、いつも心が落ち着き、懐かしさを覚える。

眼前には雲間から朝日が昇り、稲穂の実った水田が黄金色に光っている。
150メートル程離れた林の中からは、無数の蝉の声が聞こえ、水田の上をトンボが羽を光らせながら飛翔している。


思いがけず巡り合った幸せな時間だ。


私は、その光景の中で体操をしながら娘の事を思った。


『あすかも、この匂いを好きになり、こうした光景の中にいるだけで、幸せを感じられる人になって欲しい』と。


人が幸せ感じる時間は、人それぞれなのだが、刈り取られた草の香りや限定的な自然の中であっても、その只中にいるだけで、心底幸せを感じられる人になって欲しい。


私は、毎朝自宅から5分程のところにある富士川の川辺を散歩ウォーキングするようになってから、1年4カ月経つが、その川辺を眺め歩くようになってから、自然の力、生命の素晴らしさを再認識している。


カモ達が頭上数メートルのところを羽音を立てて、飛翔するその姿の美しさ。
水田の中から聞こえるカエル達の声。
カワセミが身近に生息するその姿。


娘に親として強制するつもりはないのだが、川辺の自然に触れ、親しみ、様々な生命の存在を知り、空や残月を眺め、幸せを感じて欲しいのだ。


それこそが21世紀を生きていく娘にとって、貴重な、それこそ貴重な思考の源泉のひとつとなるに違いないからだ。


娘よ、刈り取られた草の香りを好きになれ!!


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散歩ウォーキング(1) 2010.08.17


私は千葉県松戸市常磐線北小金駅の近くに住んでいる。


私の自宅から歩いて5分程のところに千葉県が管理する一級河川富士川が流れている。


川幅は10メートル程で、川の長さは約2キロの流れである。
北小金の駅から柏方面に向かって線路沿いに歩いていくと、7・8分で富士川に着く。


なぜ一級河川なのか?と首を傾げるほどの小さな川なのだが、散歩ウォーキングをするには最適な川である。


川の両側には、水田や畑が広がり、ウグイスをはじめ、ヒバリ、メジロセキレイ、セッカ、オオヨシキリなど様々な野鳥が季節ごとに囀る。


大型の野鳥としては、オオタカアオサギダイサギコサギなどの他、キジが沢山生息している。


3週間前には、5羽のキジの親子が畑の中を駆け回っていた。キジはとても脚が早く、ジャンプするように駆け回る。ダチョウが疾駆する姿に似ている。


また、娘と妻と三人で1カ月前の7月の中旬、この川沿いを散歩して際には、オオタカが小型の野鳥を目の前で捕えた。その素早さには驚嘆した。


その他、カワセミが生息している。

カワセミは、ピッピーと鳴きながら、川面の上1メートル位の高さを高速で飛翔する。

初めてカワセミを見た際には、我が目を疑ったほどだ。


秋から春、初夏に掛けては200羽から300羽のヒドリガモカルガモが生息する。


富士川は、松戸市流山市の境を流れる川で、大変短い川ではあるが、周辺には多くの雑木林が生い茂り、朝晩は犬を連れて散歩する人達やウォーキング、ジョギングをしている人達がいるのだが、誰一人として野鳥を追い回す人達はいない。


そのためか、カルガモは人の足元近くでさえ、のんびり草を食んでいる。


今朝、散歩ウォーキングをした際には、私の足元を30センチ程のシマヘビがアスファルトの道の上を過った。


10日程前には、私の目の前をカブトムシが音を立てて飛んでいた。


毎朝、散歩ウォーキングをするようになってから1年4カ月の間、この川辺の四季の移ろいを見ているのだが、動植物、昆虫の多さには目を見張るものがある。


朝日の昇る中、青空を眺め、雲を眺め、野鳥や虫の音を聞くと、雑念が消えていく。


少し涼しくなったら、娘と妻と私の三人で、初秋の青空や残月を見に行く。

娘はカワセミを見たがっている。



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ウンチ記念日 2010.08.10


8月3日で娘のあすかは、2歳9カ月になった。

やっと最近、夜寝る時を除いて、紙オムツを外し、綿のパンツを履くようになった。


「ママ、オシッコ」
「ママ、ウンチ」と妻にその都度、声を掛けるようになり、トイレに行くようになった。

とは言っても、オシッコのお漏らしはするし、毎回、ウンチが決まって出るわけではない。

今日も4日前からウンチが出ず、娘のお腹はカエルのように膨れ上がっている。


カレンダーに『オシッコ記念日』『ウンチ記念日』と書き入れられた日から、2ヶ月もたっていないのである。

これまでの道のりは、『記念日』という名に相応しく、トライ・アンド・エラーの連続で、平坦なものではなかったが、娘が一人で、最初にトイレで『ウンチ』をした日には、家族3人で手を叩き、声を上げて喜んだ。


『ウンチ』をトイレでしただけで、こんなにも喜べるとは、子供を育ててみないと分からないものである。
私の今現在の関心事の一つは、娘が毎日のようにトイレに行き、ウンチをしてくれる事である。


幸い娘は、生まれてから病気らしい病気もせず、元気に育っている。

親の気持ちは、よく言われるように、実際親になってみないと分からないものである、と最近よく思うようになった。

ウンチひとつを取ってみても、言葉には出さないが、親は気を揉むものなのだと。


傍から見れば、遅かれ早かれ、トイレに行って誰でもウンチをする。
そんなに気を揉む必要はない、と言われるのが落ちなのだが。
それでも気を揉む。


「ウンチが出た!!!」と言っては、3人家族が喜びあう。

我が家の幸せは、娘の『ウンチ』にあり。

当分の間、我が家のカレンダーは、『ウンチ記念日』に埋め尽くされる事となる。

ありがたや、ありがたや!!


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気ままに一日を過ごす 2010.08.02


時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に出てみたい


だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない


寺山修二が作詞した有名な「時には母のない子のように」の一節です。


正直な話、一ヶ月に一日か二日位、一人で気ままに、朝から晩まで過ごしてみたい、と思います。


朝、散歩をした後、午前中から見たかった映画を見に行く。
その後、気に行った店で昼食を食べ、本屋に行って本をゆっくり眺め、何冊か本を買う。
午後はその本を読みふける。
好きな音楽の流れる場所で、コーヒーを飲みながら。


あるいは、朝から晩まで行ってみたかった街や場所を、気ままに歩く。

あるいは、一晩か二晩、一人で温泉に行って、ゆっくり湯に浸かり、散歩をし、本を読む。


私のところは、仕事場である事務所と生活空間が、ドア1枚隔たっているだけで、娘の声や妻と娘の遣り取りを耳にしながら仕事をしています。


つまりは四六時中、妻と娘が今、何をしているのか分かり、共にいる、という生活です。


娘の笑い声や鳴き声、妻と娘の話声や「お腹減った。何か食べたい」の声です。


妻と一緒になってから4年近くの歳月を経て、結婚して子供を育てるという生活は、妻にとっても私にとっても、一人娘がまだ2歳9カ月であるため、その日その日を自由気ままに、過ごすというものではありません。


例えて言うならば、娘を背中に背負い、両手に買物袋を提げて歩いている毎日と言ったところです。


「一人になりたい!!」
「一人になって好きなことをやりたい!!」
「もう、疲れた!!」
「もう、嫌!!」と妻は時折、私に言います。


その言葉を聞き、
『また、はじまった。俺だって・・・』と正直なところ思います。


しかし、しかし、娘は、
「お腹減った。何か食べたい」
「もう、眠たい」
「どこか行きたい」
「ミオちゃんに会いたい」を連発する毎日です。


娘と四六時中、こうした生活を送れるのも残り、あと9カ月。

来年の四月には幼稚園児です。


『気ままに一日を過ごす』

それは今のところ、夢のまた夢。


時折、妻と私が交代で、半日程度、気ままに過ごす日もあるのですが。

毎日、娘と一緒に過ごす。

「それは、それは、楽しく、幸せな時間であった」と娘が幼稚園に行った後の静まり返った家の中できっと思うことでしょう。


とは言え、子育てをしていると、たまには一日一人で気ままに過ごしたい、と思うのは、当然ですねよ。


追伸:

今年に入って妻も私と一緒に仕事をしている関係から、娘を、保育園に入園させようと妻が市役所に行き、手続きを取ったのですが、入園希望者が多く、査定の結果、『待機』という名の下、『却下』となっています。


「それはないだろう」と何回か、市役所の担当部署に電話をし、話をしたのですが、
『待機』です。


現在では、娘を幼稚園に入学される予定です。


無謀かも知れませんが、私としては、幼稚園を廃止し、保育園に一本化し、希望者全員が入園できるシステムに変更すべきではないかと思います。

保育時間や夏休みなどについては、個人個人がそれぞれの都合により選択できるようにして。

いかがでしょうか?


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